(一)同好会結成へ
(二)同好会結成の夜
(三)池田屋事変記念パレードの準備
(四)堀川警察署「署長室」での1時間
(五)第1回 池田屋事変記念パレードの日(1)
(六)第1回 池田屋事変記念パレードの日(2)
(七)テレビ番組への出演
(八)時代祭参加への初動(1)
(九)時代祭参加への初動(2)
京都新選組同好会副長 土方歳三こと奈良磐雄
パレード出発の地、壬生寺では松浦俊海貫主が主催する「新選組隊士等慰霊供養祭」が行われようとしていた。すでに故人となられた名優 上田吉二郎氏が中心となり建立された、新選組 近藤勇局長の胸像や、新選組隊士の墓のある壬生塚には、新選組に関心を持つ老若男女が大勢集まっている。我々京都新選組同好会は新参者なので少し遠巻きに法要を見守っていた。梅雨が明けたばかりの蒸し暑さの中、容赦無く照りつける夏の太陽に焼かれながらも、わずか百数十年前にこの地で散って行った若き志士たちのことをしっかりと脳裏に焼き付けた。 いよいよ出発の時刻、午後4時が近づいてきた。法要が終わり、思い思いの木陰で休んでいた隊士に向け副長が「新選組出動準備」の号令をかけた。本堂前の広場に再集合した隊士は、それぞれの組長から最後の衣装の点検を受け、緊張の面持ちで副長の出陣の合図を待った。 副長がおもむろに鉄扇を中空に上げ、「新選組 池田屋へ出陣」と大号令、続いて各組長が「一番隊前へ」「二番隊前へ」「三番隊前へ」と順に号令をかけ、隊士が「オー」と大声で呼応しながら隊列は動き出した。静かに見守っていた法要への参列者や見物の人々の間から大きな拍手が沸き起こった。高下駄の「カランコロン、カランコロン」というリズミカルな音だけがこれに応えていた。 壬生寺正門を出て、屯所のあった八木邸、前川邸を過ぎ、狭い坊城通を北上し、メインストリートの四条通に出た。そこには予想外に佐々木堀川署長差し回しのパトカーが赤色灯をつけ待機していた。二名の警官が汗だくになりながら隊列を先導、パトカーが後方を固めるという形で、スムーズに進めるよう万全の対応をしてくれた。当時の特別機動隊である新選組が仲間の警察に警護されながら進む姿に、かっこ悪いなという思いも少しはあったが、そんなことは思っていられない。誠の隊旗を先頭に、車道一車線を確保した隊列が夕日を背に、四条通を東に向けてゆっくりと進んで行くと、先走りの瓦版を見た観衆が「新選組頑張れ」「かっこいい」などと、思い思いに声を掛けてくれる場面もあった。信号に従って進む事になっていたので、赤信号で止まる時は「新選組 とまれ」、青信号で動き出すときは「新選組 まえへ」と副長が鉄扇を振り上げながら号令し、隊士が「オー」と呼応したので、引き締まった行進となった。 新町あたりにさしかかると、そこには祇園祭を最も盛り上げる、動く美術館と呼ばれている山や鉾が建ち並んでいる。鉾の上では笛や鉦のおはやしが奏でられており、いやが上にも祭気分が盛り上がる。山や鉾が一車線を塞いでいて隊列の行く手をさえぎるので、通行車両の切れ目を狙い、思いきって中央車線に出て歩を進めるという動きを繰り返しながら、四条通に建てられている最後の鉾である長刀鉾の所まで到達した。この長刀鉾は祇園祭のメインイベントである山鉾巡行の先頭を行くので、歩道は身動きできないほど大勢の人が取り囲み、見上げている。ちょうど池田屋までの行程の中程になるので行進を止め、休憩を兼ねながらカメラの列の被写体となることにした。祇園祭の山鉾と新選組の構図は、願っても1年に1度しかなく、それも初めてのことなので、多くの観衆を満足させた。 しばし休憩の後、隊列は四条河原町を左折し三条通まで一気に北上、目的地の三条小橋西にある旅館池田屋跡へ到着した。一息入れる間もなく、かねてからの打ち合わせどおり、車道に溢れながらも二重、三重に池田屋玄関を取り囲んだ新選組隊士は、戦闘開始の準備を整えた。 当時であれば近藤局長の「御用改めでござる」の声で、一斉に突入し、数時間にわたる死闘が展開されるのだが…。今や旅館池田屋の面影は全く無く、テナントビルと化したビルの1階はケンタッキーフライドチキンの店となっている。カーネルサンダースおじさんがわれわれを笑顔で迎えている店の前では、そう長居も出来ない。 池田屋討ち入りの儀式は、副長の「抜刀」の合図で全員が大刀をスラリと鞘から抜き放ち正眼に構える。ひと呼吸置いて「勝ちどき」の号令で、全員が「エイ エイ オー」と刀を宙空に振り上げること3回。「納刀」の合図で静かに刀を鞘に納める。「志士の霊に黙祷」の合図で全員1分間の黙祷。「献酒」の声で、局長を先頭に組長、隊士の順に一升瓶から直接、池田屋事変記念石碑に酒を注ぐ。「新選組 引き上げ」の号令で、全員が最後の大声で「オー」と呼応し、三条河原に撤収し終結する形をとった。 京都新選組同好会発足から第1回池田屋事変記念パレード実施まで、あっという間であったが、やり終えた充実感は、一生忘れられないものとなった。これをきっかけに毎年7月16日には、何をさておいても池田屋事変記念パレードをやることになり、現在に至っています。 (社会情勢上の判断から2回中止しましたが、今年の第19回目は大盛況の内に無事終えることができました。) |
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