京都新選組同好会史(一)

(一)同好会結成へ
(二)同好会結成の夜
(三)池田屋事変記念パレードの準備
(四)堀川警察署「署長室」での1時間
(五)第1回 池田屋事変記念パレードの日(1)
(六)第1回 池田屋事変記念パレードの日(2)
(七)テレビ番組への出演
(八)時代祭参加への初動(1)
(九)時代祭参加への初動(2)


同好会結成へ

京都新選組同好会副長 土方歳三こと奈良磐雄


副長 奈良磐雄
(もう少し大きいサイズ・衣裳のことなど)

 昭和50年の秋、フリーのデザイナーをしていた私に、クライアントであったファッションビルの 営業部長横田俊宏が(局長:近藤勇)、京都のとある喫茶店で「おまえ新選組をどう思う?」と唐突に 聞いた。

 「新選組のことはよう知りません。鞍馬天狗とチャンバラやってた集団?鞍馬天狗のほうが強かった…。 そろいのユニフォームを着た男ばっかりの侍集団…」情けないことにその程度の知識だった。

 横田が続けた「市役所の前で時代祭りを見てたら、側で見ていた旅行者風の、小学校5年生ぐらいの女の子 と母親の会話が聞こえたんや。」「どうして新選組が出ないの?」「俺も何でかな〜?と思たけど、それ以 上は考えんかった。」「しばらくしてから、その時の女の子の疑問がそのまま俺の疑問に変わってきたんや」

 「新選組のこと、本読んで調べたんやけど、男の美学を地で行く集団やったんやで…」「八王子や日野は 横浜に近く、外国から日本を守らねばという意識が強く、農民も武術の稽古に励んでたんや。勤皇佐幕、 尊皇攘夷という政治思想が、意識ある男たちの間で日常的に熱く語られていた時代や…。」

 「男が立身するには武士になるしかない時代に、百姓や食い詰め浪人に千載一遇のチャンスがきた。徳川の殿様が上洛するので、身辺警護のため、腕自慢の者が集められたんや。」「天然理心流道場の試衛館で仲間だった近藤、土方、 沖田らはこの機会を逃してはと応募し採用された。男として名を上げられる武士に昇格したんや。」 「多くの雇われ武士らと上洛したまではよかったけど、その集団の責任者の清河八郎は強い攘夷論者で、すぐに 江戸へ引き返すと言いだした。近藤らは武士として京の治安を守るために上洛したのだから、今更引き返せない。 清河らと別れ京に留まった近藤、芹沢ら13名は、京都守護職松平容保の預かりの身となり、新しく選ばれた者た ちの組織ということで新選組と名乗り、京の治安を守るため活躍したんや…。」

 「京での活躍はわずか5年程で、 菊(薩長同盟の官軍)が優位に立つほどに、葵(徳川幕府)が衰退していったんや。」「幕府が衰退するほどに 新選組は守りの重要ポストに上がっていった…」「政権の交代が確実になった時、最後まで武士を貫徹する 新選組は新旧勢力のじゃまな存在になってしまった…。武士の身分でなかった近藤や土方が、武士階級の上位に 上り詰めたとき、その身分を補償する体勢が崩壊していて、戻る場所を失った新選組は最後の武士として名誉ある 死に場所を探してさまようという、激しくも悲しい運命やったんや…」

 横田の新選組やその時代背景に関する知識は相当なもので、28歳の私はどんどん話に吸い込まれていった。

 男の運命を左右した時代背景と、彼らの生きざまを聞いていると身体に熱いものがたぎるのを覚えた。

 新選組は京の都で活動したのはたった5年、明治維新後130年近く経た今でも語り継がれ、映画やテレビで取り上 げられるたびに大ヒットとなる集団はそれほどない。 歴史を記すのは時の勝利者。破れて散った新選組は殺人者集団としての汚名を着せられたまま長い時間が経った。

 「新選組同好会を作らんか。」

 「新選組やその時代のことをもっと勉強して、彼らのことを正しく知り、事の善悪は別にして彼らの生きざまを 後世に伝えよう…」

 「会津に白虎隊祭、赤穂に赤穂浪士祭があるように、京都に新選組祭を興そう」

 かくして横田局長と奈良副長が中心になり京都新選組同好会の結成に発展する。
つづく


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