(一)同好会結成へ
(二)同好会結成の夜
(三)池田屋事変記念パレードの準備
(四)堀川警察署「署長室」での1時間
(五)第1回 池田屋事変記念パレードの日(1)
(六)第1回 池田屋事変記念パレードの日(2)
(七)テレビ番組への出演
(八)時代祭参加への初動(1)
(九)時代祭参加への初動(2)
京都新選組同好会副長 土方歳三こと奈良磐雄
パレードの許可証をもらうため、3日後の指定の時間に、再び局長と私が堀川署の窓口を訪ねると「こちらへどうぞ」と階段を上がり、2階の奥まった部屋まで案内された。部屋の表札には「署長室」と記されていた。 ドアーをノックをすると、中から「どうぞ」と張りのある落ち着いた声が返ってきた。やや緊張しながら中に入った。部屋の奥から立ち上がりながら二人を迎えてくれた署長は、髪をオールバックにした、細面の、姿勢の正しい、50歳位のれっきとした紳士であった。直立したまま、我々は京都新選組同好会の局長と副長で、7月16日の祇園祭の宵山の日に、30人ばかりが新選組の衣装を着け、壬生寺から三条池田屋までパレードしたい旨を伝えた。 署長はニコニコしながら我々に名刺を渡し、「まあ、お座りなさい」とソファーを指した。世が世ならば警察の署長といえば我々新選組の上司に当たる所司代の上級役人で、こうも気易くは目通りしてもらえない身分の差があったのだ。緊張がとけないまま座ると、「交通係から新選組同好会よりパレードの許可申請があったとの報告があったので、すぐに京都府警の公安部へ身元照会を出しました。右翼か何かの団体かと思ったから…。ところが返ってきた答えは真っ白で、一般市民の集まりだということが判ったので、許可証をお渡しする時、是非お会いしたいと言っておいたのです。楽しみにしていました。実は、私も新選組が大好きで…」と、署長の椅子の後ろの帽子掛けを指差した。そこには誠の字とダンダラ模様が白く染め抜かれた、まさしく新選組の隊旗が飾ってあったのだ。緊張していたのとハンカチ位の小さなサイズだったので気が付かなかったのだ。 ここまで歓待されるとは想像だにしていなかった我々は、一気に緊張もほぐれ、署長と楽しい歓談の一時を持った。佐々木善市署長は剣道と居合の達人で、自分が新選組の屯所のあった壬生寺周辺を管轄区域に持つ堀川署に配属された時から、新選組に関する本もたくさん読み、彼等の生きざまに深い共感を持っている。警察官の間でも新選組の佐々木を名乗り、変わり者と思われているということまで聞いた。 調子に乗って、同好会にお入りになりませんかとお誘いすると「そうしたいのは山々ですが、残念ながら公職の身ですので…。公職についている間はご遠慮しておきます」とキッパリとおっしゃった。「それでは我々同好会の顧問ということで…、佐々木署長のことを京都守護職 会津藩主 松平容保候と思っております」と言うと、まんざらでもない笑顔が返ってきた。 パレード出発地点の警察署の許可も意外な展開の元で手にすることが出来た二人は、意気揚々と堀川署を後にし、通過地点である堀川通以東を管轄に持つ五条警察署への挨拶に回った。佐々木署長から事前に電話連絡を受けていた五条署交通課の課長も、我々に理解ある態度で快く了解してくれた。 京都新選組同好会の晴れ舞台を踏む日を1週間後に控えた、暑い1日だった。 |
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