元治元年6月5日(旧歴)三条小橋池田屋にて討幕派浪士が集い、6月20日前後の風の強い日を選び、京の町々に火をつけ、その混乱の中で天皇を奪い一挙に討幕戦を起こすとの情報を得た京都守護職(会津藩主松平容保)御預り新選組は、京の治安を守るため出動。これが世に言う池田屋事変であり、時あたかも祇園祭宵々山の夜であった。 この事変のため、維新が1年遅れたとも言われている。 我々は新選組の歴史的評価は別として、勤皇派、佐幕派の志士共に憂国の士であったと考えたい。しかし時勢の本流にのり維新を迎え栄達を極めた勤皇派志士の陰に、時代の大勢を知りながら剣一筋に生きて己の信念を貫き通し、華々しく散っていった人々の集団としての新選組に男のロマンをおぼえるのです。 維新後すでに150年、すべて恩讐の彼方での出来事でありますが、幕末維新に尊い命を捧げた新選組隊士を始め、佐幕勤皇等幾多の志士の霊を慰めると共に、新選組発足活躍の地京都で新選組を永く語り続ける為にも新選組祭を開催すべきであり、又、時代祭にも新選組を参加させるべきであると考えている我々新選組同好会です。 尚、我々同好会には一切政治色を入れない一般市民の集まりです。 興味、共感をお持ちの方はご連絡下さい。 |